「夫婦善哉」織田作之助
織田作之助さん作品紹介
主人公は、柳吉と蝶子のカップル。柳吉はキタの化粧品問屋の若旦那(だった)。新地の店で出あった芸者の蝶子とミナミで同棲をはじめる。自分の家庭を捨て勘当された柳吉は収入がなく、当然のことながら蝶子が働かなくてはならない。ヤトナ(臨時雇で宴会や婚礼に出張する有芸仲居)となり、二人の暮らしを支える。
蝶子はふがいない「夫」を一人前にしようと、せっせと働くが、いつまでたっても柳吉は改心しない。そのため蝶子は夫が散財する度に折檻し、柳吉は「どうぞ、かんにんしてくれ」と悲鳴をあげる。どんなに生活が苦しくても、そんな彼らには暗さがない。また「どや、なんぞ、う、う、うまいもん食いに行こか」の柳吉の一言で、二人の仲は復活するのだから。
そんな二人が食べにでかけた店や、描かれた食は・・・。
(以下、筑摩書房「ちくま日本文学全集」織田作之助の「夫婦善哉」から)
ミナミの「うまいもん屋」
~柳吉はうまい物に掛けると眼がなくて、「うまいもん屋」へしばしば蝶子を連れて行った。彼にいわせると、北にはうまいもんを食わせる店がなく、うまいもんは何といってもミナミに限るそうで、それも一流の店は駄目や、汚いことを言うようだが銭を捨てるだけの話、本真(ほんま)にうまいもん食いたかったら、「一 ぺん俺の後へ随(つ)いて・・・」行くと、無論一流の店へははいらず、よくて高津(こうづ)の湯豆腐屋、下は夜店のドテ焼き、粕饅頭(かすまんじゅう)か ら、戎橋そごう横「しる市」のどじょう汁と鯨皮汁(ころじる)、道頓堀相合橋東詰(あいおいばしひがしづめ)「出雲屋(いづもや)」のまむし、日本橋「たこ梅」のたこ、法善寺境内「正弁丹吾亭(しょうべんたんごてい)」の関東煮(かんとだき)、千日前常盤座横「寿司捨」の鉄火巻と鯛の皮の酢味噌、その向い「だるまや」のかやく飯と粕じるなどで、いずれも銭のかからぬいわば下手もの料理ばかりであった。
(略)「ど、ど、ど、どや、うまいやろが、こ、こ、こ、こんなにうまいもんどこイ行ったかて食べられへんぜ」という講釈を聞きながら食うと、なるほどうまかった。
「出雲屋」のまむし
~新世界に二軒、千日前に一軒、道頓堀に中座の向いと、相合橋東詰にそれぞれ一軒ずつある都合五軒の出雲屋の中でまむしのうまいのは相合橋東詰の奴や、ご飯にたっぷりしみこませただしの味が「なんしょ、酒しょが良う利いとおる」のをフーフー口とがらせて食べ、仲良く腹がふくれてから、法善寺の「花月(かげつ)」へ春団治(はるだんじ)の落語を聴きに行くと、ゲラゲラ笑い合って、握り合っている手が汗をかいたりした。
山椒昆布
~黒門市場の中を通り、路地へはいるとプンプン良い香いがした。
山椒昆布(さんしょうこんぶ)を煮る香いで、思い切り上等の昆布を五分四角ぐらいの大きさに細切りして山椒の実と一緒に鍋にいれ、亀甲万(きつこうまん)の濃口醤油をふんだんに使って、松炭のとろ火でとろとろ二昼夜煮つめると、戎橋の「おぐらや」で売っている山椒昆布と同じ位のうまさになると柳吉は言い、 退屈しのぎに昨日からそれに掛り出していたのだ。火種を切らさぬことと、時々かきまわしてやることが大切で、そのため今日は一歩も外へ出ず、だからいつも はきまって使うはずの日に一円の小遣いに少しも手をつけていなかった。
「自由軒」のライスカレー
~(蝶子は)この二三日飯も喉へ通らなかったことで急に空腹を感じ、楽天地横の自由軒で玉子入りのライスカレーを食べた。「ここ自由軒のラ、ラ、ライスカ レーはご飯にあんじょうま、ま、ま、まむしてあるよって、うまい」とかつて柳吉が言った言葉を想い出しながら、カレーのあとのコーヒーを飲んでいると、いき なり甘い気持ちが胸に湧いた。
カフェ「一番」
~夕方、蝶子が出掛けて行くと、柳吉はそわそわと店を早仕舞いして、二ツ井戸の市場の中にある屋台店でかやく飯とおこぜの赤出しを食い、烏貝の酢味噌で酒を飲み、六十五銭の勘定払って安いもんやなと、カフェ「一番」でビールやフルーツをとり、肩入れをしている女給にふんだんにチップをやると、十日分の売り 上げが飛んでしもうた。
「正弁丹吾亭」や「たこ梅」のおでん
~(柳吉と蝶子の)新規開店に先立ち、法善寺境内の正弁丹吾亭や道頓堀のたこ梅をはじめ、行き当たりばったりに関東煮屋の暖簾(のれん)をくぐって、味加減や銚子(ちょうし)の中身の工合、商売のやり口などを調べた。
「丸万」のスキ焼き
~ある夕方、三味線のトランクを提げて日本橋一丁目の交叉点で乗り換えの電車を待っていると、「蝶子はんと違いまっか」と話しかけられた。北の新地で同じ抱主の所で一つ釜の飯を食っていた金八とかいう芸者だった。誘われて、戎橋の丸万でスキ焼きをした。その日の稼ぎをフイにしなければならぬことが気になったが、出世している友達の手前、それと言って断わることは気がひけたのだ。
サロン「蝶柳」
~(柳吉と蝶子は)カフェを経営することに決め・・・。
名前は相変わらずの「蝶柳」の上にサロンをつけて「サロン蝶柳」とし、蓄音機は新内、端唄(はうた)など粋向きなのを掛け、女給はすべて日本髪か地味なハイカラの娘(こ)ばかりで、下手に洋装した女や髪の縮(ちぢ)れた女などは置かなかった。バーテンというよりは料理場といった方が似合うところで、柳吉はなまこの酢の物など附出(つきだ)しの小鉢物を作り、蝶子はしきりに茶屋風の愛嬌を振りまいた。すべてこのように日本趣味で、それがかえって面白いと客種 も良く、コーヒーだけの客など居辛かった。
「夫婦善哉」のぜんざい
~柳吉は「どや、なんぞ、う、う、うまいもん食いに行こか」と蝶子を誘った。法善寺境内の「めおとぜんざい」へ行った。道頓堀からの通路と千日前からの通路の角に当っているところに古びた阿多福人形(おたふくにんぎょう)が据えられ、その前に「めおとぜんざい」と書いた赤い大提灯(おおぢようちん)がぶら 下がっているのを見ると、しみじみと夫婦で行く店らしかった。おまけに、ぜんざいを註文(ちゅうもん)すると、女夫(めおと)の意味で一人に二杯ずつ持ってきた。碁盤の目の敷畳に腰をかけ、スウスウと高い音を立てて啜(すす)りながら柳吉は言った。「こ、こ、ここの善哉はなんで、二、二、二杯ずつ持って来 よるか知ってるか、知らんやろ。こら昔何とか大夫ちう浄瑠璃のお師匠はんがひらいた店でな、一杯山盛にするより、ちょっとずつ二杯にする方が沢山はいってるように見えるやろ、そこをうまいこと考えよったのや」
蝶子は「一人より女夫の方がええいうことでっしゃろ」ぽんと襟を突き上げると肩が大きく揺れた。蝶子はめっきり肥えて、そこの座蒲団が尻にかくれるくらいであった。
原作年代:昭和15(1940)年
想定年代 物語のなかに大正12(1923)年の関東大震災がでてくることから、その前後と読める