「暖簾」山崎豊子
明治15年発行の「商工技芸浪華の魁(さきがけ)」に紹介されている、大阪名物・昆布を商う小倉屋本家の店頭風景
山崎豊子さん作品紹介
北海道から良質の昆布が大阪に入ってきたのは約300年前のこと。多様な細工昆布をつくり、おいしさを広め、昆布の加工品を大阪名物にまでにしたのは大阪商人の力量に他なりません。「暖簾」は、そんな大阪の昆布商人の生きざまと気概を描いた作品です。
大阪の商いの中心である船場の昆布商に生まれた作者の山崎豊子。周囲の人々をモデルに、綿密な取材と力強い筆致によって描き出した本作がデビュー作となりました。
物語は、明治29年に淡路島から一人の少年が大阪へ働きにでる場面から始まります。その後親子二代にわたって昆布を商い、戦後の混乱期にあっても、のれんを守り続ける様子が息をつく間もなく展開されていきます。
わずかな昆布のくずも粗末にしない節約と、 さまざまな商品を開発するアイディア、商売の才覚、災難にもくじけない気骨。それらを支えるのは、"暖簾は商人(あきんど)の命だす"という、のれんへの自信と誇りなのです。
"だし"に"加工品"にと大阪とは深い絆のある昆布。「暖簾」では高級昆布の裁ち残しを夜なきうどん屋に安く卸し評判になるエピソードや、若いお嬢さんが酢 昆布を買い求めるシーンなど、いかに昆布が大阪の食文化に重要な役割を果たし、日常的に親しまれているかを伝えています。
「暖簾」のラストは、昭和30年代の大阪。戦後の動乱期を生き抜き「浪花屋」を再建させた孝平が、経済的な力を失った大阪に直面し心の中で次のように呟きます。
"もう十年の辛抱や、もう十年したら元の大阪にしてみせたる"
大阪の経済は、昆布業界が背負って立つといっても過言ではない、そんな自負と大阪商人の心意気がひしと伝わる台詞なのです。
山崎豊子(やまさき・とよこ)
1924(大正13)年、大阪市に生れる。京都女子大国文科卒業後、毎日新聞大阪本社に入社。1957(昭和32)年「暖簾」を刊行。翌年「花のれん」で第39回直木賞を受賞。年月と取材費をかけることは惜しまない、という山崎豊子作品の数々は、ときに大阪の伝統文化、風土を詳細に伝え、ときに社会悪を鋭い視線で私たちに力強く訴えかけるのである。
主な作品
「花のれん」
「ぼんち」
「しぶちん」
「女系家族」
「花紋」
「仮装集団」
「白い巨塔」
「華麗なる一族」
「不毛地帯」
「二つの祖国」
「大地の子」