冬の夜は心暖まる「うどん」で!
大阪の「うどん」がうまい
うどん屋でそばメニューがある。反対にそば屋でうどんが食べられるのが東京である。これは落語の中にも投影されていて、上方で『時うどん』と呼ばれるポ ピュラーな噺が、東京では『時そば』とタイトルが変わる。ストーリーはまったく同じで、うどん屋をからかうか、そば屋をからかうかの違いだけだ。
昔のお金の単位で十五文しか持っていない男が、十六文のうどんを食べようとする。兄貴分はうまく成功するが、次の日に主人公が真似をして反対に損をする、という話である。
『風邪(かぜ)うどん』という噺もある
厳寒の夜、屋台のうどん屋が、路地の奥の家で若い衆が集まって博打をしている所へ通りかかる。お上(かみ)に知れるとまずいので、声をひそめてやりとりを する。次に出会った客にも、博打をしていると勘違いして、小声でしゃべっていると、その客「おまえも風邪ひいてるのんか」というストーリーだ。
まだある。『吉野狐』という一席は、あとでちと説明がいる。ある男、女遊びがすぎて勘当され、投身自殺するところを、夜なきうどん屋の老人に助けられる。 そこへ、馴染みだった遊女の吉野が現われ結婚し、二人で道頓堀にうどん屋を出す。そんなある日、吉野はかつて助けた狐で、恩返しのために人間に姿をかえて 男のそばにいることが判かる。吉野は真相がばれたので姿を消す。男「あ、吉野が信田(しのだ)に変わった」大阪で、吉野と言うとあんかけ、信田はきつねう どんを指す。それを知っていると味わい深いオチになる。
因みにきつねうどんのそば台はたぬきという。しかし東京でたぬきは天カスそばのことなので注意されたし。 ところで、うどんとそばの文化圏はどこが境界か。ある放送局の調査で関ヶ原だと判明した。うどんとそばもそこで天下分け目の戦いをしているのであろう。
落語の部屋の料理の小箱
『西のうどんに東のそば』
日本で「そば」と「うどん」が外食のメニューとして根付いたのは江戸時代のこと。
当初、麺類店の中心はうどんだったそうです。これはうどんの方が歴史が古いことに由来するのでしょう。 そして、そばが今のような食べ方をされるようになった江戸中期頃から、江戸でそばの人気がうどんを上回るようになります。
一方関西ではうどんが根強く残ることになり、こうして現在に至る二大粉食文化圏が形成されたのだとか。 この文化圏の境は一説によれば、愛知県・豊橋から本州を縦断する中央構造線(断層)だといわれています。
この境界線より東(北)側がそば文化圏、西(南)側がうどん文化圏といった地域による嗜好の差が生じる理由としては、まず第一に気候の違いが挙げられます。うどんの原料である小麦の栽培には年間を通して温暖な気候が必要ですが、それに対してそばは寒冷地や、やせ地に強い作物。栽培適地の違いが流通に関係し、結果的に"西のうどんに東のそば"という嗜好の差が生まれたのだと考えられています。
また、"西のうどん"といっても、それぞれの地方でのうどんの食べ方は実に多様。たとえば"讃岐が麺を食わすなら、大阪はだしが命"といわれるほど、大阪うどんはだしに特色があります。"天下の台所"大阪は、もともと良い物産が日本各地から豊富に揃う土地柄。新鮮な材料を使って自然の味を活かした調理法ができるのです。約300年前北海道から良質の昆布が関西に流入し薄口醤油が生まれ、淡くてコクのあるだしが完成しました。
そんな独自の味覚と風土のなかで育まれた大阪うどん。なかでも大阪が発祥の地である「きつねうどん」は大阪の人々に最も人気のある食べものの一つといえる でしょう。旨いだしと、濃い味で煮た油揚げ、うどんの組合わせは、美味しいだけでなく、店で頼めばすぐにできて、その上安い。一つの器に主食(麺)とおかず(油揚げ)、そして汁物(だし)が入ったきつねうどんは大阪人の合理主義にもぴったりマッチし、今も昔も変わらず愛され続けているのです。