食材
大阪に全国から集まってくる食材
大阪は、奈良に都ができる前、難波の宮という都がありました。海や川などの水運を使い、古代から物流や文化交流の拠点として機能してきました。同時に、集まったものを売る「市」ができ、庶民の暮らしにも様々なものが売買され、浸透していきました。都が奈良や京都に移った後も、海の玄関口として栄えました。
近世、石山本願寺を中心に一大寺内町が形成され、約1万人余りの人たちが暮らしました。それに伴い、食べ物や日用品の商いが盛んになります。豊臣秀吉の大阪城築城により、さらに大阪には人が集まり、活気あふれる大都市となっていきます。この頃、すでに、摂津、河内、和泉、大和、山城など、近隣の地域から河川を使って、阿波、播磨、備前、備中、備後、伊予、讃岐などから海路を使い、魚類、青物、乾物などが運ばれてきたそうです。
江戸時代、北前船が大阪に多くの物資を運んでいたものを紹介しましょう。紙、織物、絹、材木、炭、畳表、木蝋、鯨油、漆、筆、仏具、焼物...うーん、きりがないので、食べ物だけピックアップしましょう。米、もち米、大豆、小豆、菜種、胡麻、塩、砂糖、生魚、干魚、鰹節、青物、果物、椎茸、木耳、昆布、煎茶、干鰯......項目だけでもこの数です。大阪の歴史を編纂した「大阪編年史」のよりますと、1714年(正徳4年=徳川七代将軍 家継の時代)、大阪に移入された物資の総銀高は、286,561貫411匁、金換算4,093,734両1分銀13匁5分。ちなみに、当時、米10kgあたり2,471円。この米相場から換算すると1両が今のお金に換算して4万2千円。ということは......。とにかく、大変な量のものが、大阪に集まっていたのです。現在も、盛んな物流の往来は健在です。
近郊で作られる新鮮な野菜
「おいしい素材を探していると、意外と大阪の野菜に行き着くことが多いんですよ」と話してくれたのは、大阪・中央区にあるレストランFujiya1935の藤原哲也さん。藤原さんは、イタリア、スペインで修行した経験から独創的な料理を生み出す、大阪で注目の若手シェフ。料理人の心をつかむ大阪産の野菜をご紹介しましょう。
春菊、たで(鮎の塩焼きに添える酢に入れる緑葉、和風香辛料の1種)は、生産量日本一を誇っています。芽キャベツ、蕗、三つ葉、大根、白菜、椎茸、きゅうり、トマト、ほうれん草、なすび、枝豆、空豆、しろ菜、水菜、玉ねぎ、ねぎ、里芋、人参、蓮根......などなど、加えて近隣の府県からも食材続々。この食材が採れたての新鮮さを保ちながら、食卓に上がるのですから、ますます「おいしい」が増すわけです。
収穫された野菜類は、その土地の土から栄養と水分をもらい育ちます。料理するのもその地の水が一番合うといわれています。大阪で大阪の「地の味」を味わってみるのもいかがでしょう。
★ ちょっとブレイク~鴨とネギと難波
冬、鴨のおいしい季節です。脂の乗ったコクのある赤い鴨肉は、なんともいえない香りと甘みがあります。鴨に相性がいい野菜の一つに、ネギがあります。大阪・ミナミの繁華街、難波は、その昔ネギの産地でした。大阪でネギのことを「なんば」と呼んでいました。(最近は、使わなくなりましたが......)。ということで、鴨とネギをあわせて「鴨なんば」といいます。一般的に言われる「鴨南蛮」は、南蛮料理(ポルトガルなどから伝わった肉料理)に鴨肉の匂い消しとしてネギなど香味野菜を使った料理のことが語源。「鴨なんばん」と「鴨なんば」、洒落か、誤解か、どちらにしても「鴨とネギ」を指すことに間違いは無いようです。ちなみに、大阪は全国でも有数の合鴨生産地でもあります。
なにわの伝統野菜
野菜といえば、最近大阪では、「なにわの伝統野菜」という表示を目にすることが多くなりました。農学博士でなにわの伝統野菜復刻に尽力されてきた森下正博先生は、「大阪は古代から船の往来が多い地。それは決して国内だけでなく、大陸や朝鮮半島からもこぞって日本にやってきた。その時、多くの野菜の種を伝えたと考えられる」と教えてくれました。実は、日本の野菜で、日本原種のものは、数種類しかないのです。それが、海外から様々な種類の野菜が伝わり、大阪を始め日本に根付いていきました。それが土地の産物となっていったのです。しかし、明治以降、近代化の波に押され、西洋野菜の栽培などに移行し、古くから作られてきた野菜は、姿を消していきました。
20年ほど前、大阪の一人の料理人が、「大阪の味」の原点を知りたいと、大阪各地の生産者を訪ね歩くことを始めました。法善寺横町の割烹「喜川」「天神坂上野」の前ご主人で、浪速の食文化を伝える上野修三さん、その人です。上野さんは、農家を尋ねては、野菜の話を聞いていくうちに、「昔から作ってるこんな野菜あるで」と出されたのが幻の「なにわ野菜」との出会いでした。その後、"大阪の味を守りたい"と、生産復活に賛同する人たちとともに「浪速魚菜を守る会(現NPO浪速魚菜の会)」を作り、「なにわ野菜」の魅力を伝えてきました。
その後、野菜本来の甘みや苦味、辛味が残ったなにわの野菜は、田辺大根、天王寺蕪、勝間南京、吹田のくわいなど、16品目が復活。最近では、店頭や料理店でも見かけることが多くなりました。「なにわ伝統野菜」とは、①およそ100年前以上から大阪で栽培されていたもの。②苗、種子等の来歴が明らかで大阪独自の品目、品種かつ栽培に供する苗、種子等の確保が可能、③大阪府内で栽培されているもの。この3つの条件を満たすものが、「なにわの伝統野菜」として大阪府から認定されます。伝統野菜は、害虫の被害や、気温の変化に弱いため、ほかの野菜に比べて手間がかかります。しかし、「大阪の味」のために農家の人たちは大事に育て守っているのです。
★ ちょっとブレイク~ざくざくとはりはり
大阪には、「ざくざく」という料理があります。大ぶりの白きゅうりを、4センチほどの長さの短冊切りにします。うす揚げを火であぶり、軽く焦げ目がつくくらいパリッと焼き、これも短冊に切ります。白胡麻、白味噌、砂糖をすり合わせたものときゅうり・うす揚げをあえて出来上がり。歯ごたえが「ざくざく」いうので「ざくざく」です。この料理、苦味のつよい毛馬胡瓜で作ると、味噌の甘みとベストマッチです。
ちなみに、「はりはり」は、さっとだしをくぐらせた水菜のこと。水菜が「ぱりぱり」と音がする状態で食べるので、「はりはり」です。薄口醤油で味付けしただしを張ったお鍋に鯨と水菜で「鯨のはりはり鍋」。最近、鯨が手に入りにくいので、代わりに鴨でもいいかもです。
近海で獲れる多彩な魚介類
「大阪の海には、おいしい魚がたくさんいますよ」と話してくれたのは、釣りのエキスパート今井浩次さん。今井さんは、元釣り専門誌の編集長で、ご自身も地球を丸ごと釣り場にしているほどの釣り好き。関西での釣りは、沖釣りも磯釣りも季節によっていろいろな魚がいて、飽きることがないそうです。和歌山から大阪湾へ流れ込む太平洋の黒潮、穏やかな大阪湾、そして海流激しい瀬戸内へと大阪の"海"には、様々な環境が存在し、その"海"に合わせて多くの種類の魚が生息しています。「たとえば、紀州水道。和歌山方面の太平洋に掛けては、イサキなんかはここならではの魚。鰹にマグロ、ブリ、アジ、鯖、サワラ、エビ、鯛、カサゴ、ヒラメにカレイ、シラスなど。大阪湾では、ニシンの仲間のコノシロ、イワシ、アジ、鯖、カレイ、穴子、スズキ、エビにシャコ、蛸、イカなどが釣れる。大阪湾から、兵庫県にかけての瀬戸内海入り口。海流が早くなる海には、明石の蛸に淡路の鱧、太刀魚、穴子、メバルにスズキ、サワラ、イワシ、鯛、そして......」と、どんどん魚の名前が出てきます。これらの魚が、旬になると水揚げされ、大阪の食卓を彩ります。
食材を流通させる市場
豊富な食材を手に入れるのは、やっぱり市場です。にぎやかな活気に包まれて、豊かな食材を見て回ると、大阪の「おいしいもん」がよくわかります。
「天満青物市場」
まず、ご紹介するのは、天満青物市場。天満青物市場の歴史は古く、江戸幕府が青物を扱う場として、大川沿いに場所を指定し、始まった市場です。並ぶ店の数は300とも400とも言われています。大阪歴史博物館の9階に展示されている当時の絵を見ると、川から荷を降ろす人、それを運ぶ人、買い物客に店先で売る商売人、天秤棒にどっさり野菜を載せている人など、人人人、物物物が、ぎっしりかかれています。絵の中に立ち止まっている人が見当たらないです。やがて大川から、天満宮門前に掛けて魚屋なども並び、まざに「天下の台所」そのものでした。天満宮門前では、なにわの伝統野菜の一つ、「宮前大根」も盛んに作られ、並んでいたそうです。今は西天満公園に「天満青物市場」の石碑があるだけですが、辺りを見回すとその広さや規模が実感できます。
現在、「天満市場」といえば、JR天満駅の近くで50を超える店が並ぶ市場です。昭和24年に開設されて以来、野菜や魚、肉など各専門店を一回りするとあらゆる食材が手に入る庶民の台所です。
「雑喉場魚市場」と「靱の海産物市場」など
青物とくれば、魚。大阪の魚を扱う「雑喉場(ざこば)」は、西船場で栄えた市場。和泉や、播磨、紀伊、淡路はもとより、遠くの長門、四国、九州からも魚が集まり、大変な賑わいでした。靱(現在の靱公園界隈)では、塩干魚、鰹節、昆布などの乾物を扱う全国最大規模の海産物市場ができました。その後、人口の増加に伴い、難波や木津にも市場もでき、にぎやかに人々が往来しました。今、その賑わいと活気を受け継ぐのは、「大阪中央卸売市場」や「木津卸売市場」など。早朝、魚を仕入れる多くの人たちが忙しく行きかいます。
中央卸売市場の敷地内にあるすし屋「ゑんどう」は、もともと雑喉場にありました。ここのお寿司の特徴は、ご飯がほんのり温かいこと。魚を扱う商売人たちが、ちょっとつまめる、すぐ食べられるようにと、飯がさめないうちに握って出したのが始まりだそうです。今も、お店ではその味が楽しめます。後に、雑喉場や天満青物市場は、「中央卸売市場」へ統合され西日本最大の卸市場として、木津市場もプロの料理人御用達の市場として健在です。
「黒門市場」
大阪ミナミで、歳末の風景といえば、黒門市場の賑わいが紹介されます。もともと、明治末期まで大阪・日本橋にあった「圓明寺」の黒い門がありました。1855年(文政2年)、魚の行商人がこの界隈で商売を始めたのが始まりといわれていて、いつしか「黒い門の前の市場」ということで、「黒門市場」といわれるようになりました。
大阪人が愛してやまない「ふぐ」の専門店あり、なにわの伝統野菜を売る八百屋さんあり、大阪のお袋の味を守るお惣菜やさんありと、料理人も通う老舗の市場です。
「鶴橋市場」
1945年(昭和20年)戦争が終わり、大阪の町は焼け野原になりました。が、そこでいち早く立ち直った場所のひとつが、鶴橋市場です。鉄道の高架下を利用して、露天が立ち並び、様々なものが売り買いされる場となりました。現在は、6つの市場と商店街が連なり、1000を超えるお店が、市場ができた頃そのままの活気と姿をとどめながらひしめき合っています。生鮮食品や乾物はもちろん、魅力的なのは韓国食材。コリアタウンと呼ばれるエリアでは、本場顔負けのキムチや焼肉などがゲットできます。食材の豊富さに、京都や兵庫県から買い付けに来る人も少なくありません。
「大阪市中央卸売市場」
昭和6年、江戸時代から続いてきた青物市場、魚、乾物などの市場を統合し、卸売り専門の巨大市場ができました。現在、福島にある「大阪市中央卸売り市場」の30万㎡の敷地には、全国各地のみならず、世界各国から食材が集まってきます。九州のサツマイモ、信州のキャベツ、タイのマンゴー、アメリカのレモン、下関のフグ、北海道のホタテ、アフリカのマグロ、北欧のサーモンなど、山積みされた食材は、早朝のセリでどんどん捌かれていきます。ふと江戸時代の天満や雑喉場を思わせる活気です。