2月「初午(はつうま)」
大正から昭和のはじめころのお話しです。旧暦2月の初午の日(最初の午の日)は、お稲荷さんのお祭りです。お稲荷さんは商売繁盛の神様で船場の商家では、家の鬼門に祠を建ててお祀りしているお家が多かったのです。船場安土町の水落家でも、庭に勧請されたお稲荷さん「末広大明神」のお祭りの日です。正一位稲荷 大明神ののぼりとふきちり(吹流し)を立て、赤白一重(ひとかさね)の鏡もちを供えて、お客さんを迎えます。ただし、水落家では、初午の日ではなく、二の午の日がお祭りでした。
稲荷祭りは子供のお祭りですから、水落家の子供たちの級友 が招かれます。お昼には火打箱(火打箱の形をまねてこしらえた漆塗りの弁当箱)に小豆ごはん・お煮し(お煮しめ)・若菜のからしあえを詰めて、お客さんや 家の者みんなに配ります。初午には、くじ引きがつきもので、水落家では、用意してあった笹に賞品を結びつけておき、くじに当たった子供たちに渡します。また、お客さん、家族、女子衆さん(おなごしさん・おなごっさん)たち、みんなが何かをお稲荷さんへお供えして、最後にそのお下がりを全員で分けます。それ がまた、子供たちの無上の楽しみであったようです。
水落家の「行事帳」(文政6年:1823年)には、
鎮守末廣大明神祭 幟建
御酒 御膳、小豆めし・からしあへ・揚豆腐
御鏡餅壱重 献燈明
酒肴見繕ひ、御客招き、にきハしく祭る」
とあって、文政期から100年以上後の昭和初期でも、初午の稲荷祭りの伝統がきっちり守られていたことが分かります。
水落家の初午は子供中心のお祭りでしたが、水落静さん(御寮人さん:ごりょんさん)の母方の実家である田中家(秋田屋宗栄堂:書籍・出版)では、昼は子供中心のお祭りで、子供らが太鼓をのせた車を引っぱって、太鼓をたたきながら、「正一位稲荷大明神、お稲荷さんのことならどこまでも、エーヤホーヤエヤサッサ」とはやしたてて町中を練り歩くのですが、夜になると、大人のお祭りになります。大勢のお客さんが集まり、やとな(雇い仲居)さんが呼ばれ、出入りの料理屋さんから御馳走が運ばれ、大宴会となるのです。
香村菊雄氏の『船場ものがたり』には、薬の町、道修町(どしょうまち)の盛大な初午の情景が生き生きと語られています。それを読むと、初午を体験したことのない私自身の目の前に、情緒のある、この上なく楽しいお祭りの風景が、夢のように浮かんで参ります。