7月「夏祭りのご馳走」

江戸時代、大坂の町、すなわち大坂三郷の、内にあった氏神さんの夏祭りは、6月(現在は7月)に集中していました。旧暦6月は大坂の祭り月でした。

船場安土町の水落家の氏神さんは、現中央区久太郎町4丁目の坐摩神社です。ふつう、「ざまさん」と親しみを込めて呼ばれます。水落家の「行事帳」(文政6年:1823年)から、6月22日坐摩神社御祭礼の献立を見てみましょう

「 六 月
御祭禮  廿二日
右神事、御客仕来りなし、内祝之酒肴、少々手當有、
尤、膳部者四五人前手當、是ハ臺所客ハぜひ有之候故なり
献 立
朝  平  (薄くず)なすび    汁  見斗   めし
昼  鱠  はもかハ、白うり、しそふ    汁  はも摺りながし
平皿  (ゆ)すり身油上ケ、ねき  焼物  (塩やき)あじ」

これによると、水落家では、坐摩さんの夏祭りの日に特別にお客さんを招いて接待するというようなことはなく、内らでお祝いする酒肴を少々用意するだけだったようです。しかし、台所へ伺いに来るお客さんはきっとあるから、お膳は4、5人前用意しておくとあります。献立は、夏祭り、晴れの日ですから、ご馳走です。

朝は、ふだんはお茶漬けとお漬物(おつけもん)のところ、お平とおついがついています。一日に一回、昼に御飯を炊く水落家では、お昼がお祭りの御馳走、は もの料理です。といっても、私たちがすぐ思い浮かべる「はものつけ焼き(照焼き)」は、まだ登場していません。焼き魚は、あじの塩焼きです。

現在、夏祭りの宵宮にあじの塩焼きを、本祭りの日にはもを食べるお家もあります。鱠に、はもの皮の和え物、汁は、はものすり流し、お平には、(はもの)すり身の油揚げ、とはもづくしです。はものすり流しは、はもの身を包丁でたたいてから、すり鉢で充分にすり、お出しでのばして、火にかけます。これは、はも がよっぽど新鮮でないとおいしくないと思われます。雑喉場魚市場がひかえた大坂の町ならではのお料理です。
夜については、記載がありません。夜はふだん通りのお番菜だったのでしょう。

水落静さんに、昭和初期の坐摩さんの夏祭りのお話をお聞きしました。坐摩さんの夏祭り(7月21日・22日)の日、家の表には、上が白、下が浅葱(水色)に染め分けられた幕を張ります。上の白い部分に「抱き茗荷」の紋(水落家の家紋)が黒で染めてあります。門口に は、男の子の数だけ子祭の提灯が立てられました。水落家は男の子が二人なので、子祭を2張立てました。子祭の提灯は非常に高価なものだったということです。ふつう、船場で商売をしている商家では、家宝の屏風を店の間に飾るのですが、その当時水落家はすでに商売をやめて、多くの家作と財産で裕福に暮らす仕 舞屋(しもたや)で、表が格子づくりになっていましたから、屏風を飾るということはされなかったそうです。お祭りの日、朝早くに男衆(おとこし)さんが、 献湯料と御膳料を坐摩神社へ奉納しに行きます。坐摩さんでは、朝から「お湯」と言われる献湯神事が行われるからです。家族はそろって夕方からお参りに行き ました。

さて、そのころのお祭りの御馳走は次のようです。

・宵宮の昼(7月21日)
冷やそうめん、お澄まし(白天 越瓜のつらら)
・本祭の昼(7月22日)
「森吉」から、はものつけ焼きをとる
家では、おなま、はもの皮ときゅうりのざくざくを用意する

「森吉」は、安土町の水落家の近くにあった船場屈指の料理屋です。「森吉から取るはものつけ焼きほど、おいしいものはなかった」と、かつて、静さんの御主人九代目水落庄兵衛さんが述懐されました。おなまは、大根のなますのことで、船場の年中行事の日の献立にはかならずつきました。

白天とかいわれ菜のおつい

水落家の献立では、白天と越瓜のつらら(注1)のおついとなっていますが、夏祭りの時、船場で一般的に出されるのは、白天と貝割菜のおついです。水落家で も、越瓜のつららをおついに入れるのは、お上(主人家族)だけで、女中さんらはおねぎを一寸ぐらいに切ったのを入れました。これは、お家さん(注2)がお ねぎを嫌われたために、越瓜のつららに替わったそうです。
白天とかいわれ菜のおついは、お澄ましのおついにするお家と、おついがちょっと多めの煮物にするお家があります。

ここで、白天について、考えてみたいと思います。
大阪では、魚のすり身を油で揚げたものを「てんぷら」といいます。いわゆる「薩摩揚げ」のことです。その中で、白い、平べったい円形のてんぷらを白天と呼んでいます。白天の中には、刻んだ木耳が混ぜ込まれています。白天のおいしさと木耳の歯触りが抜群の相性です。この白天は、大阪地方にのみ存在するたべものなのです。京都の祇園祭の御馳走もはも料理ですが、白天とかいわれ菜のおついは出てきません。大阪の蒲鉾屋さん、「大寅」、「北浜ますせん」、「和田八」、などの老舗では、それぞれに工夫をこらした、おいしい白天を販売しておられます。

白天は一体いつごろから、大阪で食べられてきたのでしょうか。なかなか史料が見つかりませんでしたが、上記水落家の「行事帳」の祭礼献立こそ、白天の証拠となると思います。

平皿  (ゆ)すり身油上ケ、ねき

のところです。(ゆ)は柚のことです。ここには「すり身」油揚げとあるだけで、はものすり身であったかどうか分かりません。ところが、幸い、水落家にはもう一冊、さらに古い「文化二年(1805)十二月」と記載のある「行事帳」(注3)が残されており、そこには

平   はもすりみ、 わりねき

と 出ていて、はものすり身であったことがわかります。はものすり身の油揚げなら、まさしく白天です。このお平は、ねぎといっしょに盛りつけされていますか ら、煮物だったかもわかりません。わりねぎとは、勝手な解釈ですが、おねぎを焼いたり煮たりしたとき、白い部分の熱い中身が飛び出して口の中をやけどした りしないように、あらかじめおねぎに切目を入れたのではないでしょうか。

『守貞謾稿』(注4)では、京坂では半平の胡麻油揚げをてんぷらというとしています。また、江戸の摘入は京坂には 無いが、鱧肉をすりて、之を制(製)することがあり、常には売らず、多くは自製であったとしています。はものすり身を油で揚げた白天が蒲鉾屋さんの店頭に ならぶようになるのは、もう少し時代が下ってからのことでしょうか。

いつ頃から、白天に木耳を混ぜるようになったのか、また、白天とかいわれ菜がセットになったのか、というような点については、史料が確認できませんでした。しかし、とにかく、白天に木耳を混ぜ込んだ人と、白天の相方にかいわれ菜を考えついた人は、天才です。

白天をはじめ、赤天、牛蒡天、各種野菜や、タコ、イカの入ったてんぷら、など、大阪の「てんぷら」は、大阪人が作って、育んできた、大阪の誇る食の文化財だと思います。

(注1)越瓜のつららとは、越瓜を桂むきをして、くるくる巻いて,小口から切ったもので、氷柱に見立てたのか、あるいは、つらつら(ならびつらなるさま)が約まった言い方なのかもしれません。
(注2)船場では、当主夫妻を「旦那さん、だんさん」、「御寮人さん」と呼び、当主の両親を「親だんさん」、「お家さん」と呼びます。お家さんは、つまっ て、「おえさん」と発音することが多いようです。親だんさんが、隠居すると、「御隠居さん」と呼ばれることもあります。
(注3)水落家の文化2年の帳面は、後に張り混ぜて作り直したものであり、内容も文政6年の「行事帳」の方がくわしいので、「船場の料理 12ヶ月」では、文政6年の「行事帳」をもとにして、話を進めています。
(注4)喜田川守貞が、江戸時代の江戸、京、大坂の風俗について、記した考証的随筆。天保8(1837)年ごろから書き始め、慶応3(1867)年ごろまで、追記、追考を重ねたということです

天神祭の歴史

鉾流神事

当宮鎮座の翌々年の天暦5(951)年に鉾流神事が始まったと伝えられます。これは社頭の浜から神鉾を流し、その漂着した地を斎場と定めて、そこに神様を御迎えする神事です。

鉾流神事は、鉾に託して「穢れ」を祓うとともに、年に一度、神様が氏地を巡見されるという意味合いも持っています。この神様のお出ましを奉祝するために「天神祭」が始められたのです。

ところが、寛永21(1644)年の還御後は、常設の斎場(御旅所)が設けられたため、鉾を流す必要がなくなり、神事は途絶えてしまいました。しかし、昭和5(1930)年に至って鉾流神事が復活され、現在も古式ゆかしく斎行されています。

陸渡御

神様に氏地の平安を御覧いただこうと、氏子たちが御迎えの行列を組んだのが陸渡御・船渡御の始まりです。陸渡御列の中心は、神霊を奉安する御鳳輦ですが、この前後を催太鼓や神輿、神具、牛車、旗、鉾などが供奉して氏地を巡回し、天神橋北詰めの乗船場まで進みます。

かつての氏地各町では、地車(だんじり)を曳いて神様の渡御を悦びましたが、安永9(1780)年には八十四輌もの地車が宮入りした記録があります。現在では、一輌だけ残った三ツ屋根地車が渡御列に御奉仕しています。

船渡御

江戸時代には、氏子・崇敬者の仕立てた数多の船が、舳先に御迎人形を立て、意匠を競って船体を飾りたて、御旅所へ御迎えの船列を整えました。昭和12(1937)年の船渡御列は、二百艘に達したといいますが、現在は警備の都合もあり、約百艘に制限しています。

昭和28(1953)年、地盤沈下により橋桁が下がって船列の航行に支障が生じたために、それまでとは逆方向に大川を遡行するというコースの大変更を行い、現在に至っています。

【天神祭祭儀一覧】

二十二日
伏見三十石船献酒祭 午後二時~三時於本殿
ドラゴンボート国際選手権 午前八時~四十五分
二十三日
天神祭前夜祭ツイン及びOBP地区 午後五時~八時
御羽車巡行 午前十一時~午後三時半於 天二~天六
包丁式(京繁協友会) 正午於 本殿
ギャル神輿宮入り 午後四時頃
二十四日 宵宮
宵宮祭 午後四時於 境内
午前七時四十五分於 本殿
流し神事(神鉾講) 午前八時五十分於 鉾流橋畔
二十五日 本宮
夏大祭 午後二時於 本殿
神霊移御祭 夏大祭に引き続き本殿にて斎行
陸渡御 午後四時半
船渡御 午後六時 出発
水上祭  
帰着 先頭 午後八時
天満宮還御 午後九時五十分
還御祭 午後十時於 本殿
花火 午後七時於 川崎公園於 桜宮公園

天満宮のホームページ

御迎人形(おむかえにんぎょう)の置物が社務所で授与
来る平成14年は、天満宮の御祭神菅原道真公が薨去されて1100年にあたります。天満宮では「菅原道真公千百年大祭」が斎行されます。
その記念事業の一環として、昨年より毎年の天神祭にあわせて、天満宮所蔵の御迎人形のうちから一体ずつ順次製作され、授与されています。
一体5,000円(各500体限定)で、天満宮の授与所にて授与されています。

天神祭のご馳走

天満宮の参道にあたる西天満の旧家、内藤壽一さんの家では、天神祭には門にちょうちんを出し、家紋の入った幕をはって迎えます。住まいは明治43年(1910)に上棟された大阪の町屋から、いまはビルになっていますが、天神祭のご馳走は変わりません。
壽一さんの妻の芳美さんは、帰省する子どもたちや孫たちのために、毎年お祭りの料理を用意します。芳美さんに内藤家の天神祭のご馳走を披露していただきました。

メニュー

  1. 鱧ちり
    熱湯にくぐらせた鱧を氷水にさらして冷まします。水気をとって盛りつけ。梅肉、ミョウガとともにいただきます。
  2. 鱧の照り焼き
    骨切りした鱧の切り身にタレをつけてじっくり焼き上げます。はじかみショウガが添えられています。
  3. 小芋の煮物
    ぬめりをとった小芋を薄味で炊き、色よくさっと炊かれた絹さやが添えられます。だされる直前には、すりおろした柚子をかけます。
  4. タコとキュウリの酢の物
    生タコの足をゆでて、薄切り。輪切りキュウリは塩をした後に水にさらしてしぼり、タコとともに合わせ酢で和えます。ミョウガが添えられています。
  5. 冷やしそうめん
    深鉢に氷と青しそがあしらわれ、薬味には、きざみねぎ、椎茸の煮物、錦糸たまご、えび、すりおろした土ショウガが並びます。
  6. 白天とかいわれ菜のおすまし・きくらげ入りの白天、かいわれを盛りつけた椀にすまし汁を注いでいただきます。
  7. 枝豆・ゆでた枝豆も、冷えたビールとともに夏には欠かせないメニューです。
    あっさりとした味付け、しゃきっとした歯ごたえ。夏にふさわしい食感と、味を引き締める薬味にも気をつかってだされる料理。どれもおいしそうで、食もすすみます。