8月「井戸替 聖霊祭」
(精霊会、盂蘭盆会)
井戸替-7月7日(8月7日)
旧暦7月7日の七夕さんは、また井戸替(いどがえ)の日でもありました。七夕さんは、今では、年に一度、天の川の両岸にある牽牛星と織女星が相会するといったロマンチックなお話が主流を占めていますが、もともとは、夏の暑い時期にはや る疫病から身を守るため、穢(けが)れを白い紙でつくった人形(ひとがた)に託し、川へ流す穢れ祓いの行事でした。旧暦の7月7日といえば、今の8月の中旬以降にあたります。幼稚園では、現行暦7月7日に七夕祭りをしていますので、梅雨が明けておらず、たいてい雨降りか、曇りで天の川はほとんど見ることができません。井戸替が7月7日の七夕さんの日に行われたということは、やはり井戸替も、疫病退散を願う穢れ祓いの行事であったことを示しています。
船場安土町の水落家の「行事帳」(文政6年:1823年)を見てみましょう。
七日 井戸がへbr /> 備献 御燈明、御酒、洗米
折敷ニ さば壱さし、なすび弐、から瓜弐、苧壱わ 〆
朝ハ 常の通り
昼 そふめん百五拾把 但シ朝之内ニゆて置べし 湯之ひや之□ すべし
かいもの からし、ゆ
御酒肴 壱鉢ハ さバを□ たで
壱鉢 瓜ニ而もなすひニ而もにしめニする
あしらい 肴見斗 但し干ものニ而もむしり置候
〆 別段御客者なし、井戸替ニ参る手傳弐三人」
井戸替のときは、さばを供え、食べるようです。さば壱さしとあるところから、塩さば(刺さば)です。塩さば二尾を刺し連ねて一刺しといいます。から瓜(唐瓜)は、キュウリあるいは、マクワウリの別称です。苧は、苧麻(からむし)で、苧麻の繊維でできた紐の束を供えています。お清め、お祓いの意味をもっています。井戸替のお昼の食事はそうめんです。
明治に太陽暦が採用されて以来、7月7日を一ヶ月遅らせて、船場 では、8月7日ごろに井戸替をする商家が多かったようです。水落家でも、専門の井戸替職人さんやら、出入りの手伝い(てったい)さんがたくさん来て、にぎやかな行事だったようです。井戸の水をかい出し、底から石を運びあげて、きれいに洗います。そのとき、一年間に井戸の中へ落としたいろいろな物がでてくる のも面白いことでした。
聖霊祭(精霊会)-7月13日~16日(8月13日~16日)
お盆の行事は、各お家の宗旨によって変わってきます。門徒さん(浄土真宗・真宗)は、お盆にご先祖さんをお迎えして?ということはされません。浄土宗とか、真言宗などの宗派は、お盆の行事がたいへんです。
水落家の宗旨は真言宗、旦那寺はミナミの三津寺(真言宗御室派準別格本山 中央区心斎橋筋二丁目)です。同家の「行事帳」、七月聖霊祭の項には、次のように記載されています。
十三日 昼 御迎イ申入 おはぎ、したしもの
夕飯 黒大豆入茶かゆ、但し茶にばなニ而黒豆ヲいりて入ル
香物 ならつけ うり、なすひ
十四日 朝 汁 なすび 平 あらめ、油上ケ めし
昼 汁 かもうり 平 なんきん 飯
西瓜を上る事も有之、格別高値成としハ不及
夕方 御飯 にしめ こんにゃく、かんひやふ、なすび
夜 こしあん、すすりだんこ、あづき壱升
〆
十五日 朝飯 汁 まびきな 膾 白うり、油あげ、しそふ
平 いんけん豆、なすび、油上ケ
昼 (ゆ からし)そうめん八十
七ッ前 送りだんこ
御立御膳 飯 汁 すいき 平 (のつべい)いも、牛坊、油上ケ
右之通先祖ヨリ備来候得とも、到来もの其外、佛之好物之品抔有合し候へば、備へる
かよし、水御茶ハ度々仕替、献してよし
送り火 十五日暮前
十六日 朝 汁 見はからい 飯 平 (うすくす)なすび
昼 汁 飯 焼物 作りさバ、たで
一、十三日ヨリ燈籠八月三日まて燈し可申候、但し門口桃灯も同し事、
ろうそくハ無用、かんてらニ而燈スべし」
水落静さんに、昭和初期の水落家の聖霊祭についてお聞きしました。「8月の13日朝から、主人が三津寺の千日前墓所まで、尊聖(そんじょ、ご先祖)さんをお迎えに行き、安土町の家までお連れします。入口でおがらをたき、主人の母がろうそくとりんを持って出迎え、りんを鳴らしながら家の仏壇へご案内します。 早速、お昼に、家でつくったおはぎ(こしあん・きなこ)をお供えします。仏さんのお膳は、春慶塗りのお膳を13、お供えしました。晩は、黒豆入り茶粥と香 のもの(奈良漬の瓜、浅漬のおなす)。14日の朝は、お味噌のおつい(おなす)とおなま。昼は、お煮し(かんぴょう、おなす、こんにゃく)。おやつは西 瓜。晩は、昔はすすりだんごだけやったと聞いていますが、分家からおすもじ(おすし)が届きます。このとき、かいわれ菜の塩漬をいただいたと思います。す すりだんごは、白玉だんごが入ったおしるこ(こしあん)です。15日の朝は、冬瓜のおつい、おなま、めえ(あらめ、あるいはひじきと揚げさんの煮いたん)。昼は冷やそうめん。おやつは、送りだんごにきな粉をつけて食べます。送りだんごは、餅屋さんが、大きなやわらかいだんごを届けてくれますので、それ を小さくちぎって、まるい平べったい形にして、きな粉ににまぶして、お供えしました。晩はずいきのおつい、のっぺい汁(ごんぼ、しいたけ、こいも、揚げさ ん)。15日の晩は、おついばっかりで、おなかがだぼだぼになりました。15日の晩早めにお供えして、上台所の入口のところで送り火をたいて、尊聖さんを お送りします。そのあと、お供え物は、下げて、大きな蓮の葉に包んで、東横堀川の本町橋の上から船へすーと落としました。お供えしたお茶湯やお水は、しか える度にバケツへ取っておき、15日の晩に「無縁さん、無縁さん」といいながら、門口へ撒きました。16日は精進あげで、お魚をいただきました。」
これでみると、戦前の水落家では、江戸時代とほとんど変わりなく、お盆の行事をしておられたことがよくわかります。