織田作之助が愛した名物カレー
「自由軒」

明治23年の創業

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ご飯にルーを混ぜる、名物の「ライスカレー」。

大阪・千日前に名物カレーで有名な「自由軒」があります。作家の織田作之助氏が愛したカレーをつくり続けて90年。明治、大正、昭和、平成と約1世紀の時代に渡り、この地で洋食店を営んできました。
創業者の吉田四一(しいち)さんが店を開店したのは1890(明治23)年。生まれ故郷の岐阜県大垣市から大阪に移り住んで、数年後のことでした。それ以前は、千日前で八百屋を開いたり洋食の屋台を引いていたそうです。「板垣死すとも自由は死せず」の名文句とともに、板垣退助が刺客の前に立ちはだかったのは1882 (明治15)年、岐阜での出来事。その直後、同じ岐阜県から自由に憧れて大阪の土を踏んだ四一さん。努力の末、開店にこぎつけた店の名は「自由軒」でした。

織田作之助氏が愛した「ライスカレー」

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「板垣死すとも自由は死せず」の名文句からつけらた「自由軒」の名称は、時代を物語ります。

織田作之助氏がこの店に通ったのは、昭和の初め頃。和服の着流しに黒いマントをまとい、つばの広いソフト帽といったスタイルで、懐にはいつも本が入っていたそうです。決まって注文するのは「ライスカレー」。これは、現在も「名物カレー」の名で親しまれているこの店の人気メニューで、ご飯にルゥがかけられている一般的なカレーとは異なり、両方を混ぜ込んだもの。この独特のスタイルを考案したのは、創業者の四一さんでした。それは、炊き上げたご飯を保温する設備などなかった時代のこと。ご飯とルゥの両方を熱いうちに食べてもらうにはどうしたらいいか、子供にも手軽に簡単なマナーで食べてもらうにはどうしたらいいか、という客を想ってこその気持ちから生まれたのです。

「トラは死んで皮をのこす、織田作死んでカレーをのこす」

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執筆中の織田作之助の写真が、店内に掲げられています。

このカレーがお気に入りであった織田作之助氏は、著書「夫婦善哉」にも登場させました。主人公が言った「自由軒のラ、ラ、ライスカレーは御飯にあんじょう ま、ま、まむしてあるよって、うまい」という言葉は、作者本人の気持ちそのものであったに違いありません。店内の一番目立つ場所に飾られているのは、執筆中の写真。そこには、「虎は死して皮を留め、人は死して名を残す」という十訓抄の言葉にかけて織田作之助氏が残した「トラは死んで皮をのこす、織田作死んでカレーをのこす」という名言が掲げられています。

●住所/大阪市中央区難波3-1-34
●電話/06-6631-5564
OSAKA-INFOによる詳細