老舗の洋食レストラン 「山守屋」

山守屋

日本人のための洋食屋

華やかな通りに数多くの高層ビルが建ち並ぶ大阪・北新地に、品の良いレストラン「山守屋」があります。身構えるような高級レストランでもなく、気さくな大衆レストランということもなく、どこか懐かしいような店。日本人が慣れ親しんだ、日本人のための洋食をつくり続けて約75年。新地の発展を見守り続けると ともに、多くの客に憩いの空間を提供してきました。

時代を先取りしたメニュー

山守屋

昭和8(1933年)、先代の豊田久兵衛さんにより創業。当時はまだ日本人には馴染みの浅かった洋食。しかし、西洋文化の導入が盛んになっていたこともあり「食生活もやがて洋風になる」と考えた久兵衛さんは、当時フランス料理の草分け的存在であった風月堂と六甲ホテルで修行、そして独立。創業時、山守屋は現在地よりも数百メートル離れた場所にあり、藤棚のある庭が自慢のお洒落な店構えでした。現在でこそオープンカフェは珍しくないものの、昭和初期のレストラ ンにはとても小粋なムードが漂っていたでしょう。1階は店舗、2階は住居でした。家族はもちろんのこと、久兵衛さんのもとで修行をしていた料理人たちも住居部分で下宿生活。「私が幼かった頃に、店で修行をしていた料理人は、独立をしたいまでも店を訪ねてくれるんですよ」と話すのは久兵衛さんの息子で現店長の豊田良三さん。久兵衛さんは、洋食を広く一般に食してもらえるようにと、イモコロッケやビーフカツから徐々にメニューを増やしていきました。食材の乏しかった時代であったにも関わらず、その日に仕入れた食材はその日に使い切るというこだわりを貫き、売り切れ次第閉店という状態でした。

山守屋

しかし、第二次世界大戦で店は全焼。再建で昭和20(1945)11月に現在地に移ったのです。一面焼け野原だった周辺も復興を遂げ、再び多くのビジネスマンが通うビルが建ち並ぶようになりました。宿直だという常連の会社員がお風呂を借りに来ることもあったとか。また、周辺ビルのOLを集めて簡単な料理教室を開いたこともあったそうです。お客を大切にすることを重んじた久兵衛さんならではの、温かい人柄がうかがえるエピソードです。

先代のこわだわりと温かさが今も引き継がれている

山守屋

昭和45(1970年)、山守屋は久兵衛さんの息子の豊田安幾男さんに引き継がれます。現在、山守屋の営業を担う安幾男さんと良三さんの他、すべての兄弟は料理人の道に進まれています。「食品や料理にこだわった父の背中を見て育ちましたから、とても自然な流れでしたね。現代でも通用するような洋食の店を作った父の先見の明は、すばらしいと思います」と話すのは現取締役の安幾男さん。時代は変わっても、先代・久兵衛さんのこだわりと温かさは、現在もそのまま受け継がれています。

所在地/大阪市北区堂島1-2-32
電話/06-6341-2446