「亀乃饅頭」
平野大念仏寺の霊亀伝説を今に伝える
亀乃饅頭の素朴な味わい。
平野(ひらの)の大念仏寺といえば大阪市内でも屈指の大寺院で、創建は平安時代にさかのぼります。寺の宝物のひとつ亀鉦は、ひとたび海中に沈んだのを大きな亀が返しにきたといわれ、その伝説に基づいて作られたのが平野名物の「亀乃饅頭」です。
大阪市が整備した「歴史の散歩道」の道路に埋め込まれた赤レンガの目印を、大念仏寺の山門から東へたどっていくと、おのずと「亀乃饅頭」の前を通りかかることになります。寛永年間創業の古い店ですが平野の人は誰も 本当の店の名前を言わず、「亀乃饅頭」と商品の名で呼んでいます。それだけ長く親しまれてきたということでしょう。
最近、築150年にもなる店舗を改築しましたが、古い面影はそのままに明るく、きれいになって「平野郷まちなみ推奨建物」に指定されました。
「亀乃饅頭」は浦島太郎が乗っているような緑毛の亀の形をしています。弾力のあるカステラ風の生地に包まれた白あんは舌触りがなめらか。淡白さの中にむっちりとした旨味があります。
「亀乃饅頭」というどこかのんびりした言葉の響きは平野の町全体の雰囲気をあらわしているような気がします。クルマで乗り付けず、歩いて買いに行きたいお菓子ですね。
霊亀報恩の姿を偲んでつくられてきた
「亀乃饅頭」亀乃饅頭
大阪は平野という町で300年の昔よりつくられ続けてきた「亀乃饅頭」。遡ること660余年、平野大念仏寺にまつわる"亀鉦(かめがね)"の伝説に由来する由緒正 しきお菓子です。
平野大念仏寺の上人が勧進(かんじん=仏道をすすめること)のために難波津より船 出したときのこと。突然の大時化(おおしけ)に逢い、荒れ狂う海に"鏡鉦(かがみ がね)"を投じて海を鎮められました。勧進を終えて復路の途上、波間より突然現れた大海亀の頭上には"鏡鉦"が。こうして一度は海の底深く沈んだ"鏡鉦"は、再び 上人の手に戻ったのでした。亀のおかげで戻ってきた"鏡鉦"は"亀鉦"と呼ばれる< ようになり、今も平野大念仏寺に眠っているそうです。
この大海亀を偲んで今も手づくりされている「亀乃饅頭」は、亀の姿をくり貫いた焼き型をつかって焼きます。その型を開けば、背中の甲羅とお腹の甲羅の模様が左右それぞれにあり、型を閉じると一匹の亀の姿になるしくみ。もちろん、大きな海亀ならではの房のような長い尾も付いています。これに生地を流し入れ、あんを入れてまた生地を被せ、焼いていきます。外側のカステラ生地は小麦粉、卵に加え、焼き色を付けるための蜂蜜や上白糖が入ります。中に入れるあんは白あんで、ザラメを入れて炊き合わせたものがつかわれます。
日に300個つくるとして、生地の中には18個もの卵が入ります。まず黄身を溶き入れ、メレンゲ状に泡立ててから白身を入れるため、それだけでも本当に大変な作業 です。もちろん中に入れるあんも手でひとつひとつ丸められます。その大きさは、亀の型に入るよう、大き過ぎず小さ過ぎず。そんな些細なところにこそ、手が覚えた熟練の技が光ります。型に材料を入れて上下をひっくり返しながら焼いていく様子は、傍目にはいとも簡単に見えますが、この焼き型ひとつの重さは4kg。持つだけでずしりと重いものをやすやすとひっくり返す技は、現在八代目の福本匡伸さん(48歳)が大学生の頃より繰り返しつくられて会得された伝統の技。
焼きあがって型から取り出された亀乃饅頭は、木の桶に並べて冷ましていきます。昔は蒸し饅頭に焼きゴテで亀の模様を焼きつけた時代もあったそうですが、現在の亀は、火でこんがりと焼かれた茶色の愛くるしい姿をして、店先に並んでいます。もちもちした食感とほんのり広がるあんの甘さは、いくつでも食べたくなる飽きのこないおいしさ。ご近所の人もその日のおやつにと、気軽に買って帰られるようです。
長寿に縁の深い亀の姿をした「亀乃饅頭」、その名のとおり、平野の地で伝統の味をいつまでも伝えていってほしいお菓子です。
所在地/大阪市平野区平野上町2-9-10電話/06-6791-0977