粟おこし
「二ツ井戸津の清」
250年以上の歴史
江戸時代、道頓堀に店を構えていた「大和屋」は、古くから大阪名物として双璧をなしていた「おこし」と「昆布」の商いを兼業していました。ところが、1752(宝暦2)年、三代目の大和屋清兵衛さんが、おこしの製造販売を専業とし、屋号も「津乃國屋」と改めたのです。おこしは、平安時代に中国から渡来したもので、中国ではお米が材料でしたが、日本では粟や稗を使った庶民の食べものでした。しかし、清兵衛さんは、お米問屋でこぼれている米粒をなんとか活用できないかと思いたち、お米を使ったおこしを考案したのです。わざわざ米粒をくだいて、外見を当時の人々が見慣れた泡粒状にするなどの工夫も凝らしました。「粟おこし」の名もそこからきています。
ヒット商品へ
清兵衛さんが考案した「粟おこし」は、それまでの手で握ったつくねのようなものとは異なり、板状で随分と食べやすかったようです。昔から芝居小屋が並ぶ道頓堀という場所柄、芝居見物の際にも重宝する食べものとして、たちまち評判を呼び大ヒット商品となりました。
現在は暖簾が9代目へ
大阪には諸藩の蔵屋敷があり、穀物の集散地であったことから、おこしに適した米や砂糖を容易に手に入れることが可能だったのです。以降、時代の流れとともに、ピーナッツやバター、ミルク入りの粟おこしも登場しました。近松門左衛門の「生玉心中」や山崎豊子の「のれん」にも出てくる大阪の味わい、粟おこし。現在は9代目の中村一三さんに引き継がれ、伝統を守りながら今日も進化を続けています。
●創業/1752(宝暦2)年3月●創業地/道頓堀
●創業者/ 大和屋清兵衛
●現社名/つのせ
(大阪府堺市浅香山町3-9-11電話072-226-0722)