洋風立ち飲みバー「堂島サンボア」
大正7年の創業
開店して90年以上になるスタンドバー「堂島サンボア」。創業者の鍵澤正さんは大正末期、神戸の鳴尾ゴルフクラブ(当時、兵庫県武庫郡鳴尾村にあった)のクラブハウスで働いていました。そこで同クラブハウスの飲料部責任者であった岡西 繁一さんと出会います。その後、岡西さんが独立。大阪に7軒、京都に3軒店を構えるサンボアの前身となる「岡西ミルクホール」を開業するのです。昭和10(1935)年、岡西さんのもとで働いていた鍵澤さんは暖簾分けという形で独立。創業時の堂島サンボアは中之島で営業。しかし、昭和11(1936)年、阪神電鉄の用地買収のため立ち退きとなり、現在地に程近い堂島に移転したのです。
終戦直後から営業再開へ
第二次世界大戦が始まり、堂島サンボアもその影響を大きく受けます。昭和12(1937)年、創業者である鍵澤正男さんが出兵。その間、弟の時宗さんが代わって営業を担います。昭和17(1942)年頃には、舶来酒の輸入がストップ。国産のウイスキーの入手も困難で、店にあるストックを少しずつ飲むという状況でした。激しくなる 戦争、大阪を襲った大空襲...。ついに、堂島サンボアもその被害を受け、休業を強いられます。
終戦後の昭和22(1947)年。現在地に堂島サンボアを再開。戦後の混乱の中再開した店舗は、現在の店構えからは想像もつかないバラック建てでした。周囲は見渡す限りの焼け野原。店からは堂島川の遥か彼方まで見渡すことができたそうです。戦時中と同様、ウイスキーなどお酒の入手は困難で、ヤミ市などを駆けずり回っての営業でした。日常生活もままならないこの時期に、バーを再開するのは並大抵の苦労ではなかったはず。しかし、この努力のおかげで、現在も堂島サンボアが存在するのです。
洋酒好きにはたまらないムードが
その後、昭和30(1955)年に改装。現在も多くの客をもてなしているカウンターは、この時のものです。深みのある色でウッディにレイアウトされた店内。落ち着いた照明。真鍮のバーが施された重厚なカウンターに寄りかかり、多くの酒好きが飲み 物を片手に語らいの時を過ごします。カウンター真後ろにあるテーブル席の椅子が、すべてカウンター方向を向いているという粋な演出も感じられます。古い洋酒や稀少なデザインの洋酒もディスプレイされていて、洋酒好きにはたまらないムードにあふれています。
●住所/大阪市中央区今橋4ー4ー11大阪市北区堂島1-5-40●電話/06-6341-5368
OSAKA-INFOによる詳細