「平岡珈琲店」
コーヒーとドーナツとのれん
大正10年の創業
御堂筋から中央区瓦町の通りを東へ入って、一筋めの手前に平岡珈琲店がある。ビジネス街にぽつんと立つ店舗兼住宅は、まわりが変化していくなか、変わらずここでがんばってんねん、と語りかけてくるのです。のれんがなければ平岡珈琲店かどうかわかりません。コーヒー&ドーナツの看板はあるけれど、入り口がガラスの引き戸だし、知らない人は喫茶店と思わずに見過ごすかもしれないほどです。いや、喫茶店といってはいけないのです。
平岡珈琲店の小川浩さんに「父が始めた店ですが、喫茶店と呼ばれるのをいやがりまして、ずっとこの屋号ですから」という話をきっかけに、昔を思いだしてもらいました。先代は食品の輸入や販売を手がけたり、いろいろあって、珈琲店を残したそうだ。「天才的に新しいもの好きでして、あんまりに先をいきすぎた。私ら子供のころは苦労しました。いまは、創業を私の生まれた年にしてますねん」といえば、大正10年(1921)。
コーヒーにあう「出あいもん」
大正時代で連想するのは、カフェーです。しかし、カフェーは現代の喫茶店とはかなり違う店のようです。しかも、カフェー、喫茶店、それぞれが異なる内容の飲食店だと明快に区別され、使いわけされてはいません。当たり前といえばそう、ものの創成期に混乱はついてまわるのです。小川さんが「父はよく、銀座のパウリスタへ見学にいってました」と話したのが気になり、調べてみました。
パウリスタは、カフェーがでかけた大正初めころに本場ブラジルのコーヒーを売りものにして人気を集めた店なのです。平岡珈琲店では、コーヒーにあう「出あいもん」のドーナツが手づくりで売られていますが、これもコーヒーをいかにおいしく飲んでもらうか工夫して、先代が始めたもの。先代は、当時流行中のカフェーではなく、まして茶屋の延長みたいな喫茶店でコーヒーを売るのでもなく、あくまで珈琲の店にこだわったのではないか。そして、のれんは、大阪船場にある店ならではと思います。のれんがかかってる間は営業中であるのを示します。平岡珈琲店は、いまも豆を自家焙煎してコーヒーをだします。先代の意志と目指した方向は、現代にしっかり受け継がれています。
昭和初期からは、現在の場所に
創業当初は平野町の近くでしたが、御堂筋が拡張される昭和の初めころ現在地に移ったそうです。いまは、小川さんと、息子さん夫婦に小川さんの娘さんの家族で店を切り盛りしています。
ちなみに、日本最初のカフェーは、明治末に創業した東京の「カフェー・プランタン」といわれています。一種のサロンとして生まれました。その後、カフェーは大衆的になるとともに、給仕する女性がいて、洋食や酒もだす店を指すようになりました。
●大阪市中央区瓦町3丁目6ー11●電話:06―6231―6020