「末廣堂」さつま焼

末廣堂

思い出の味わいいつまでも
「末廣堂」のさつま焼

チンチン電車の通る住吉界隈の街並みは都心に較べると、古い面影を残していますが、それでも長い間にはずいぶん風景が変わってしまっているにちがいありません。江戸時代の住吉はサツマイモの産地で、昭和の初めころまでは住吉大社の門前で売る蒸し芋が名物になっていたとか。サツマイモがよくできる土地は水はけのよい砂地が多いと言いますが、住吉の神がまつられたころ、ここは住之江の波打ち際だったので土質が芋の栽培に適していたんでしょうね。明治初年の創業のころ住吉参りの人々に愛されていた住吉芋をかたどって作ったという末廣堂の「さつま焼」を手にしていると、古代にまで想像がふくらんでいきます。

末廣堂

「さつま焼」は小豆の漉しあんを小麦粉の生地で包み、串をさして焼いたもの。表面にかけた溶き卵の焦げた艶やかな色が美しく、よく見ると真ん中に串の通っていた小さな穴があいています。両端がやや細くなって胴がふくらんでいるのに、全体にむらなく焼き色のついているところや、中のあんがしっとりしているのに外の皮がしっかり焼けていること、野趣があって、なおかつ品がある点など、いつも感心しながら食べています。

このお菓子を見ると、住吉さんの太鼓橋に登ったのはよいけれど、下りるのが怖くて泣いた幼い日がよみがえってきます。思い出のよすがとなる昔と変わらぬお菓子があるということは、ありがたいですね。

掌でつくり出す優しい味わい さつま焼

末廣堂

時は元禄の頃、薩摩芋の産地として名高かった住吉。しかし、時代の移り変わりとともに次々に品種改良された甘藷が入荷され、昭和のはじめにはその姿を消してしまったのです。その面影を今に伝えるのが大阪は住吉にある「末廣堂」の蒸しいもならぬ"さつま焼"です。明治初年の創業時より、住吉大社にお参りにくる人々をはじめ、多くの人から支持を得ている浪花の銘菓です。
大きな釜で何度もアクをすくいながら炊かれたこしあんは、十勝産の小豆を使用し固めに練られたもの。このあんが秘伝の皮に包まれ、卵液をまとってこんがり焼きあげられます。商品管理は人が行うものの、現在は日に2000個ほどが機械の流れに沿ってつくられています。
あんを包んで丸く形成された饅頭様のものを、菜箸のような竹串につき刺さしていく作業。ここからは職人さんの手仕事です。掌を巧みに使いながら先端を紡錘状に細く形づくるには、何年もの月日を要します。両手に挟まれて竹串がくるくる回り、みるみるうちに整えられていく様はまさに職人芸。ちょうど小さな薩摩芋のようなかたちになっていきます。

末廣堂

「この形に整えるのは、どうしても機械では無理なんです」と社長の齊藤安弘さん。大きさも形も揃わなければならず、5人の職人さんたちが黙々と取り組む姿が印象的でした。形成されたものが木箱に並べられ、重ねられると蒸気が当てられます。これは焼きあがったときに割れにくくするためのひと手間です。

ベルトコンベヤーの穴が開いているところに串を突き刺すと、タンクから管を伝い卵液が噴射されます。ゆっくりと串が回転しながら焼き機の中に吸い込まれ、次に姿を現したときにはこんがり艶々したこげ茶色に。ほのかに甘い香を漂わせながら出てきたものを串から外せば、さつま焼の完成です。

原料に薩摩芋は使われていませんが、不思議と焼き芋の皮を剥いて口に含んだときと同じような素朴でふくよかな味わいが後をひきます。竹の皮籠に入ったものにはヒバの葉が敷かれており、昔の蒸しいも同様、現在の住吉名物として進物にも喜ばれる隠れた名産です。

住所/大阪市住吉区東粉浜3-12-14
電話/06-6671-4428
http://www.suehirodo.co.jp/